第12弾「七度が、一度になるまで」で、わたしたちは正直に確かめました。
踵の傾きが骨盤にどれだけ伝わるか――その確定した係数は、世界のどこにもない、と。
足首までは、効く。けれど、骨盤まで届くかは、わからない。
今回は、その続きです。骨盤から、上。仙骨、背骨、肩、首、頭へ。
なぜ「骨盤から上」では、さらに深い理由で、一本にならないのか。
そして、それでも臨床家は、では次に、何をすればいいのか。
人が立つとき、足から頭まで、一本の鎖がつながっています。足首、膝、股関節、骨盤、背骨の一つひとつ、そして頭。この鎖が、たった一つの目的のために働いています。頭を骨盤の上に保ち、眼を水平に保つこと。 しかも、できるだけ少ない筋肉の力で。
「遊び」とは、ハンドルの遊びのような、わずかな余裕のことです。
ここが、いちばん大切なところです。
人の身体は、必要以上に、関節も筋肉も多い。一つの姿勢を保つのに、無数のやり方があります。これを、運動科学では「自由度の問題」と呼びます(Bernstein, 1967)。神経系は、いちばん大事なこと――頭を正面に、眼を水平に――だけを守り、それ以外は、自由にさせておきます。だから、同じ目的を、無数の違うやり方で達成できる。
そして、もう一つ。同じ人が、同じ条件で立っても、毎回、少しずつ違います。 重心は、滑らかに止まっているのではなく、絶えず、不規則に揺れています(Dubousset, 2022)。川の流れに、似ています。平均の速さは測れても、瞬間の渦の位置は、予測できません。
ここが、第12弾から一歩、進んだところです。
「遊び」は、でたらめに散らばっているのではありません。性別・年齢・その人の骨組みという、読める軸を持っています。
平均で、人を束ねない。
性別や年齢の違いは、レッテルではなく、
「この人を、この人として観る」ための、手がかりです。
ここまで来ると、臨床家は、問います。「では、次に、どうすればいいのか」と。
AGGTの答えは、こうです。係数は、出せない。けれど、「どこを見るか」「何が見えたら、何を意味するか」は、言える。
係数の代わりに、AGGTは、条件付きの「三層の地図」を描きます。
そのうえで、具体的な観察の糸口を、いくつか。俯瞰で、向きを読む――「右肩が前、骨盤が左に回旋、つま先が内」という連鎖を、一枚で一望する。求めるのは、角度の数字ではなく、ねじれの向きです。補正後の、応えを観る――補正を入れたあと、「いつもと違う捩れ感」が出たら、それは、馴染んだパターンが組み替わりつつある徴候かもしれません。断定ではなく、観察し、記録する。性別・年齢で、見かたを変える――女性なら測る時期、高齢の方なら代償の蓄えの小ささ、若い方なら仙腸関節の動きやすさ。確定換算ではなく、構造化された「気をつけること」です。
一つ、比喩で語ってみます。あくまで、考えかたの道具です。
体格のわりに、仙腸関節が、とても大きく、よく動く女性がいるとします(これは、特定の誰かではなく、仮の人物です)。仙腸関節は、上からの荷重を受けて、下肢へ渡す、最初の関所。その安定は、仙骨のくさび形のはまり込み(form closure)と、まわりの筋肉の締め(force closure)で保たれています(Snijders ら, 1993)。
この関節を、雨を受ける、受け皿だと思ってみてください。
皿が小さければ、少しの雨で、すぐに縁から溢れます。溢れた水――吸収しきれなかった代償の要求――は、上へ、上へと流れ、腰へ、背中へ、首へと、上流の構造に負担を回していきます。
けれど、皿が大きければ。体格に比して関節面が広く、よく動き、しっかり締まる人は、大きな受け皿を持っています。多くの「遊び」を、この骨盤の入口で、受け止め、吸収できる。だから上半身は、長く、守られる。同じ踵の傾きを入れても、その力の多くが、この大きな皿の中で、おさまってしまう。
これが、「同じ入力でも、人によって、上に伝わる量が違う」ことの、一つの絵姿です。大きな受け皿を持つ人は、骨盤で吸収するから、上が暴れにくい。逆に、皿が小さい人、あるいは――年を重ねて、皿が固まり、容量が尽きてきた人は、受け止めきれずに、上へ溢れさせます。
だから臨床では、その人の「受け皿の大きさ」を、想像します。骨盤で、どれだけ吸収できる人なのか。それによって、上半身に出る代償の読みかたが、変わってきます。たとえば――大きな受け皿を持つ女性なら、上半身のねじれが小さくても、骨盤の入口で、かなりの量を吸収しているのかもしれない。逆に、上半身に強い代償が出ているのに骨盤が静かなら、すでに皿が一杯か、固まっているのかもしれません。
これは「否定の論文」ではありません。「新しい見方の、提案」です。係数がないことは、観察が無意味だということを、意味しないのです。
身体が「遊び」を持つのは、欠陥ではありません。一つの崩れを直す道が無数にあるからこそ、身体は壊れず、その時々の状況に合わせて、立ち続けられる。これは、人の身体が、精巧で、しなやかである証しです。
七十億の人がいれば、七十億通りの、重力との渡り合いかたがある。AGGTは、その一人ひとりを、平均で束ねません。係数を出さない代わりに、「この人を、この人として観る」ための、確かな手がかりを、差し出します。
足首までは、効く。骨盤まで届くかは、わからない。
けれど、どこを見ればいいかは、わかる。
――それが、今、わたしたちが立っている場所です。
本稿で参照した主な文献を挙げます。いずれも、AGGTのスマホ写真とは測定方法が異なる研究値であり、「世の中の地図」として参照したものです。完全な出典と、一件ごとの検証状況は、会員専門版の精密論考に記載しています。
🟢 確かなもの
1. Hasegawa K, et al. Standing sagittal alignment of the whole axial skeleton. J Anat 2017;230:619-630.
2. Dubousset J. Cone of economy・三次元解析. Spine Surg Relat Res 2022;6(4):337-349.
3. Snijders CJ, Vleeming A, Stoeckart R. Transfer of lumbosacral load(form / force closure). Clin Biomech 1993;8:285-294.
4. Sizer PS, Brismée JM, Cook C. Coupling behavior of the thoracic spine. J Manipulative Physiol Ther 2007;30:390-399.
5. Edmondston SJ, et al. Thoracic spine coupled motion. 2007.
6. Liebsch C, et al. The rib cage stabilizes the thoracic spine. PLOS One 2017.
7. Wilke HJ, et al. Segmental thoracic spine mobility. PLOS One 2017.
8. Meijer GJM, et al. Sacroiliac joint stiffness varies with geometry. Spine 2011;36:E929-935.
9. Sturesson B, et al. Movements of the sacroiliac joints. Spine 1989;14:162-165.
10. Goode A, et al. Three-dimensional movements of the sacroiliac joint: a systematic review. J Man Manip Ther 2008;16:25-38.
11. Bernstein NA. The Co-ordination and Regulation of Movements. 1967.
12. Latash ML. Motor abundance・運動の冗長性. Exp Brain Res 2012.
13. Christiansen BA, Bouxsein ML. 椎体骨折の生体力学. 2010.
14. 和歌山スパイン研究・ROAD研究(日本人脊柱・骨盤の加齢変化に関する大規模疫学調査).
🔴 性・年齢から個々の臨床への当てはめ(女性の周期による変動・高齢者の応答の違い)は、上記文献からの推論であり、AGGT自身の臨床的検証はこれからの課題です。