AGGTは、たった一人の頭の中から生まれたものではありません。
世界中の研究者が誠実に積み重ねてきた知見の上に、
AGGTもまた立っています。
ここでは、AGGTがバトンを受け取った文献たちを記録していきます。
英国マンチェスター大学のチームが、12件の臨床試験を統合して検証した一本の論文。「物理的には荷重が動くが、痛みの軽減は集団レベルで確認できなかった」という結論が、AGGTの立ち位置を明確にする出発点になりました。
読む →米国カリフォルニアの足病医 Kevin A. Kirby博士が、距骨下関節の軸を「一本の固定された直線」ではなく「軸の束(bundle of axes)」として描き出した、足病医学の歴史的論文。軸の位置が人によって違うという発見が、効果の個人差を理解する深い視座を、AGGTにも与えてくださいました。
読む →ニューヨーク大学・パドヴァ大学・ジョンズ・ホプキンス大学の研究者たちが、ヒアルロン酸の凝集(Densification)という現象を、肝臓・眼・肺・腎臓・血管・筋・筋膜・皮膚など多臓器横断的に整理された総説論文。「臓器ごとに違う病名で呼ばれてきたものの、その奥に同じひとつの現象があった」——その仕事から、AGGTは深く学ばせていただきました。
読む →米国オークランド大学のRebecca L. Pratt博士が、ヒアルロン酸と筋膜の境界(Fascial Frontier)を整理されたレビュー論文。本論文の編集者は、Stecco博士ご自身。動きが層と層の界面を保ち、不動がそれを停滞させていく——その仕事から、AGGTが学ばせていただいたことの記録です。Stecco 2022 の「貼り付く」と並べて読むことで、組織レベルでの「動きと滑走」の関係がより明瞭になります。
読む →2020年、藤岡優子先生・岡田康志先生・大隅良典先生(ノーベル医学・生理学賞受賞者)・野田展生先生らの研究グループが、細胞内のタンパク質が液-液相分離を起こして液状の凝集体を作ることを Nature 誌に示されました。2023年には、石川翔平先生・岡田先生・酒井崇匡先生らのグループが、Nature Materials 誌で散逸構造としてのゲル–ゲル相分離を発表されました。AGGTがサイトで用いている「煮凝り化」という言葉は、岡田先生が堀江貴文氏との対談のなかで用いられた比喩を、出典を明記して借用させていただいているものです。先生方のお仕事から、AGGTが学ばせていただいたことの記録です。
読む →2017年、Ernest Greene博士たちのグループ(ニューメキシコ・ハイランズ大学ほか)が、歩行時の踵接地によって動脈の圧力波が立ち上がり、脳血流が増加することを、Experimental Biology 2017で報告されました。2020年、Rhodri Furlong博士たちのグループ(英国バーミンガム大学)が、ランニングとサイクリングのあいだに脳血流応答の差があることを Physiological Reports 誌に示されました。歩くという、人にとって最も基礎的な動作のなかに織り込まれていた、循環と脳の物語——先生方のお仕事から、AGGTが学ばせていただいたことの記録です。
読む →2025年、Hye-Min Han博士、Su-Yeon Kim博士、Dong-Hwee Kim博士たちのグループ(高麗大学・韓国科学技術研究院/KIST)が、APL Bioengineering 誌に発表されたレビュー論文。メカノトランスダクション(機械的刺激伝達)が、細胞骨格の再構築、核の力学的応答、代謝の適応を通じて、細胞老化(Cellular Senescence)の抑制と若返りに関わる中心的な経路となりうることを総説されました。分子・組織・人体・システム・力学——五つのスケールが、ひとつの連鎖として見えはじめる——先生方のお仕事から、AGGTが学ばせていただいたことの記録です。
読む →脊椎外科が築いた矢状面バランス(SVA)、足病学の距骨下関節軸、筋膜科学、運動連鎖——別々に発展してきた複数の科学が交わる一点に、AGGTは踵という入口から知らずに立っていました。個別の論文を紹介するこれまでの回とは異なり、AGGTが学術的にどこに位置するのかを俯瞰する「地図」のような一篇です。そしてSVAが「重力線からのずれ」を測るのに対し、AGGTは「重力軸と抗重力軸の一致」を目指す臨床観察である——その決定的な違いを、正直に記しました。
読む →身体は立体なのに、一枚の写真は平面です。後ろ姿だけでは前後の崩れが見えず、横顔だけでは左右の崩れが見えない。だからAGGTは、高価な3D装置を使わず、後方と側面の二枚の写真で立体に迫ろうとします——なぜ二枚なのか、その測定の根幹を記しました。さらに、足元の崩れが上へ伝わる運動連鎖だけでなく、上の問題が踵に降りる「下行性代償」という、AGGTにとって都合の悪い事実も正直に置いています。そして後半は、二枚をどう一つに束ねるかという計算をめぐって、危うく「連動ゼロ」という不誠実な近道を選びかけ、AGGTの一つの問いがそれを押しとどめた——その出来事の記録です。
読む →二枚の窓で見た「左右のずれ」と「前後の傾き」を、一つの数にまとめたい。けれど素朴に足すと、踵が原因で両方が動いたぶんを二度数えてしまう。異なる単位の数を一つにまとめる道具は、ちょうど百年前に人体計測から生まれていました。「左右と前後では土俵が違うのでは」という問いを事実に即して見ていったら、問題そのものがほどけた——その論理の道筋を記しました。さらに、その道具の応用には統計学者からの強い異論もあることを伏せずに両論併記し、道具は確かでも中身(ばらつき・つながりの強さ)はまだ借りものであることを正直に置いています。英雄のいない、論理だけが主役の一篇です。
読む →ここまでの三篇は「これからこう測る」という設計の話でした。この一篇は、その設計で、はじめて一人の身体を実際に五枚ずつ測った記録です。後ろ姿は撮り直しても揺れ、横顔は揺れませんでした。なぜAGGTはその揺れを隠さず表に出すのか。出てきた数字の、どこまでを言い切れ、どこからが「世の中ではこのあたり」という参考値で、何をまだ「分からない」と告げるのか——その境界を、四つの層に分けて記しました。一人ぶんの記録なので、ここから人間の標準を語ることはしません。これは症例報告ではなく、ものさしが実際にどう振る舞うかの記録です。
読む →バランサーやCOSMO EYEは、足元の崩れが上へどう伝わるかを数字で返します。けれど「この高さで治る」とは言いません。連鎖そのものは確かにあるのに、「踵が何度なら骨盤が何度動く」という一本の換算式は、世界のどこにも確立されていない——なぜないのか、怠慢なのか。世界中の文献を、性差・民族差・疾患別まで掘り下げて、その「言い切れなさ」の正体を正直に記しました。測定器・解析器として言い切れること(剛体の偏位・補正前後の変化)と、言い切れないこと(確定換算・効果保証・正常異常の判定)を腑分けし、専門家の問いにも先回りしています。一本の数字にならないのは、身体が雑だからではなく、一人ひとりが固有の生き物だから——その視点に立つ一篇です。
読む →前作「七度が、一度になるまで」は、踵から骨盤までで足を止めました。この一篇は、その先——骨盤から頭まで——を、同じ誠実さで歩きます。骨盤から下の偏位は測れるのに、骨盤から上の代償には「遊び」がありすぎて、一本の係数では結べない。なぜか。背骨や胸郭のつながりを世界の文献からたどり、その「遊び」が無秩序ではなく、性別・年齢・その人の骨組みという読める軸を持つこと——つまり一人ひとりの身体が選んだ解であることを示します。係数は出せない、けれど「どこを見るか」は言える——否定ではなく、新しい見方の、提案です。
読む →AGGTの測定で、踵の接地中点から距骨下関節へ、そして膝の方へ、一本の線を引きます。この線を重力線に重ねると、まるで抗重力の走行を測っているように見える——けれど、見えかたと事実は、別のものでした。独立検証に照らすと、この線・下腿三頭筋の中央・身体の抗重力線は、後ろから見たとき別々の三本であり、同じ一本と見なせる根拠は確立していない。では、この線は何の役に立つのか。答えは「測ること」ではなく「確かめること」——距骨下関節の点の置きどころを、目に見える筋の流れと突き合わせる、位置決め(placement)の妥当性の確かめです。AIの類推が独立検証によって地に戻された過程も、隠さず記しました。
読む →
この棚は、これから少しずつ増えていきます。
俯瞰地図のなかで、まだ並べていない先人たちのお仕事を、
ひとつずつ、敬意を込めて加えていきます。